演目紹介

荒馬座は、日本列島の北から南までの郷土芸能(民俗芸能)に学びつつ、今を生きる人々へのメッセージを込めて再創造し、舞台で上演している民族歌舞団です。演目によっては、現在地元の祭で演じられている形と異なる印象を与えるものもあるかもしれません。荒馬座の舞台演目をきっかけに、ぜひ地元のお祭にも目を向けていただけたらと思います。ここでは、現在、荒馬座が舞台で上演している28演目を北から南へと順にご紹介します。

アイヌの唄と踊り

北海道の阿寒のアイヌの方から直接教えていただいた踊りです。

弓の舞

アイヌ舞踊『クリセ』。昔、狩人が山奥で出会った鳥のあまりの美しさに、とうとう弓を引くことができなかったという物語を舞踊化したものです。

剣の舞

アイヌ舞踊『エムセ』。刀を打ち合わせ、足を強く踏み鳴らすことで、その場を清め悪いものを追い払います。

鶴の舞

アイヌ舞踊『サロルンリセ』。親鶴が子鶴を見守り、子鶴が徐々に成長し羽を広げて飛び立つ様子を表しています。

ソーラン節

『南中ソーラン』をはじめとするロック調のソーラン節の振り付けの元になったゆっくりとしたテンポのソーラン節です。北海道の鰊漁の漁師たちが、機械の力を使わず、力強く櫓を漕ぎ、網を引き上げていた時代の漁の様子を表した踊りです。ソーラン節の唄「沖揚げ音頭」は、昔、北海道の舟の上、海の上で漁師たちによって歌われていた作業唄です。

荒馬踊り

青森県の今別町に伝わる『今別荒馬』という踊りを元に、荒馬座で独自に構成した創作舞踊です。農作業をともにしてくれる馬への感謝、夏の疲れを流すねぶた流し、悪疫や害虫退散の願い(虫送り)といった先人の願いを大切にしつつ、荒馬座では、子どもたちが目の前の困難を馬のように力強く飛び越えていけますようにとの思いで跳躍の振りを加えて上演しています。花笠を被った踊り手と馬とが「ラッセーラー ラッセーラー」というかけ声を、客席とも元気に交わし合いながら踊ります。

えんぶり

青森県の八戸に伝わる『えんぶり』は、まだお米作りが始まっていない冬の時期に、農具を手に持ち、種まきや田植えなど、お米作りの仕事の様子を真似することで、秋にお米が実りますようにというお願い事をする予祝(よしゅく)行事です。

舞手が頭に被る長い烏帽子は馬の頭を表しています。馬とともに田んぼの仕事をしていた昔の東北のお百姓さんたちは、田んぼの神様が馬の上に降りてくると信じていたようです。

竿灯

8月に野外で行われる秋田の『竿燈まつり』。提灯がたくさん着けられた竹は「稲穂」を表しています。荒馬座の舞台では、会場の天井の高さに応じて、つなぎの竹を継ぎ足して高く掲げていきます。秋の豊作を願い、また、客席の皆さんの夢や願いも天まで届きますようにとの思いで技を演じます。

花笠おどり

山形県尾花沢市の徳良湖という、灌漑用水確保のための湖を造る仕事に従事していた人たちが、頭に被っていた菅笠を回して土搗き作業の様子を即興で踊ったのが『花笠おどり』の原型です。「♪ヤッショー マッカショー♪」のかけ声には、「田んぼに水をまきましょう」という意味があるそうです。

七頭舞

岩手県岩泉町小本地区に伝わる『中野七頭舞』は、「天保の七年飢渇」と言われる大飢饉が起きた頃に、黒森神楽の「シットギジシ舞」を基本に創作されたと伝えられています。現在、幅広い人たちに愛され、踊られている七頭舞ですが、荒馬座では、先人たちの身体の使い方や、振り付けの元々の「意図」にも思いを馳せながら舞台で上演しています。

虎舞

「風は虎に従う」「虎は一日に千里行って千里帰る」と言われ、虎は風を鎮め、また、どんなに遠くに出かけて行っても無事に元の場所に帰ってくると信じられていました。虎舞は、海の遠くまで出かけて行った船が、悪い風に巻き込まれることなく、無事に元の港に帰ってきますようにと言う安全帰港の願いを込めて踊られてきました。

荒馬座では、東日本大震災が起きるずっと前に、岩手県釜石市の『鵜住居青年会』の皆さんから踊りやお囃子の手ほどきを受けていました。津波による甚大な被害を受けた釜石の復興の願いも込めて踊ります。

獅子躍

岩手県に伝わる有名な芸能です。踊り手が背負う長い二本のササラは、神が目印として降りて来るための依り代。このササラを大地に打ち付けることで、地面の悪いものを追い出し(悪霊退散)、五穀豊穣を願います。一人の演者が同時に太鼓を叩きながら、歌い、踊るという珍しい芸能です。

霊山太鼓

福島県伊達市霊山町に伝わる太鼓。小太鼓の叩き手は身体を左右に揺らしながら叩き、大太鼓の叩き手は、太くて短い桐のバチで、まるで踊るように身体全体で即興の口伝を打ち込みます。東日本大震災による原発事故の影響で太鼓の叩き手が半減したと言われた頃、「ここをふるさととして生きる」とがんばっていた町の人たちに教えて頂いた太鼓です。

樽ばやし

味噌やお酒の入れ物として使われてきた樽ですが、昔、船乗りたちが荒れた海を鎮めるために船底や樽を叩いたという言い伝えから、いつしかお囃子として使われるようになったという珍しい楽器です。今でも新潟市の新崎という地域では、盆踊りのお囃子として樽が使われています。

浜獅子祓い太鼓

富山県新湊の『浜獅子太鼓』の皆さんに手ほどきを受けた太鼓を元にして、富山県に多く伝承されている「百足獅子」の様子も表現するよう構成しました。この世の災いを振り祓うという思いを込めて叩き込みます。

玉すだれ

日本の伝統的な大道芸です。富山県のこきりこ節で使われるササラが原型という説もありますが、由来は定かではありません。一枚のすだれがお寺の屋根になったり、魚になったり、東京タワーになったり…と色々な形に変化していきます。時には荒馬座のオリジナルの技も季節に合わせてお楽しみいただきます。

秩父屋台囃子

埼玉県の秩父地方の、冬の夜祭の山車の中で囃されるお囃子を元にしつつ、荒馬座なりのアレンジを加えて、創立間もない頃から50年以上上演している荒馬座の伝統演目です。荒馬座では、よりよい明日、よりよい社会へ向かって前へ前へと前進していきたいという「座の創立の思い」と、実際のお祭りの中で、冬の厳しい寒さに立ち向かうように、山車が、最後の上り坂を一気に駆け上がる様子とを重ね合わせて叩いてきました。

獅子舞

「獅子」は昔から人々に幸せをもたらすものとして舞われてきました。荒馬座では、粋な江戸囃子にのって一人で舞い、細やかな表現をする『寿獅子』と、横転、肩車、逆立ちなどダイナミックな動きを特徴とする『二人立ちの獅子』を上演しています。獅子舞の途中でコミカルな『もどき』や、おかめ・ひょっとこの『両面』という踊りが入ることもあります。獅子は、無病息災・厄除け厄払い、皆さんのご健康や幸せを願って、客席に入り頭を噛んで回ります。

はしごのり

まっすぐに立てられた梯子に登り、梯子の上でいろいろな技を決めていきます。元々は江戸時代の町火消し(鳶職人)たちによってつくられ、演じられてきた伝統芸能です。

三宅島の太鼓

三宅島神着地区で毎年7月に行われる『牛頭天王祭』では、五穀豊穣や大漁、家内安全、無病息災を祈願し、地区内を神輿が巡行します。この神輿を先導する役を務める『神着木遣り太鼓』。榊を先頭に島中を回る神輿を囃して、祭りの中で叩かれてきました。荒馬座は2000年の噴火の前から『神着郷土芸能保存会』の方々に太鼓の手ほどきを受け、交流を続けてきました。噴火による全島避難の際は、大事な島の太鼓を荒馬座の稽古場で一時お預かりしましたが、避難生活中の島の皆さんとともに太鼓の稽古をした日々は忘れられません。

八丈島の太鼓囃子

八丈島では昔から人が集まると、唄や太鼓が思い思いに囃されてきました。

 ♪太鼓叩いて 人様寄せて わしも逢いたい方があるよ♪

という元々の島の唄を、荒馬座では、「働く人たちを励ましたい」「よりよい社会を創っていきたい」という思いを込めて、「わしも言いたいことがあるよ」と歌詞を変えて、創立の頃からずっと叩き続けてきました。また、校内暴力が吹き荒れていた時代には、エネルギーあり余る当時の中学生たちの心に直接飛び込みたいとの思いで、直径四尺の大太鼓を叩くという荒馬座独自のスタイルも生み出しました。

ぶち合わせ太鼓

この太鼓の元となった『三浦ぶちあわせ太鼓』は、神奈川県三浦市三崎に伝わる太鼓です。その昔、漁師たちが村ごとに大漁を祈り、競い合って太鼓を叩き合っていました。勝った方にはその年の大漁が約束され、負けた側は太鼓の皮を破られ海に投げ入れられてしまうという言い伝えもあるほど、豊漁を願い村中で心ひとつにして叩かれていた太鼓です。

荒馬座では、『三浦ぶち合わせ太鼓』のクライマックスで叩かれる『さんとこどっこい』の部分を荒馬座流にアレンジして上演してきました。大太鼓の叩き手たちが競い合い、個性を生かしながらひとつの太鼓として作り上げる「和」を大切にして叩いています。

傘踊り

徳川の末期、因幡地方(鳥取県東部)が大干ばつになり、田畑は干割れ、作物が枯れようとしていました。この時、五郎作という老農夫が三日三晩冠笠を振り回して踊り、雨乞いの祈願をしたことが、傘踊りの始まりと言われています。荒馬座では鳥取県の民謡『貝殻節』にのせて、独自の振り付けで上演してきました。

水口春まつり

にぎやかな鉦のリズムと笛のメロディにのって大太鼓と小太鼓がかけ合う楽しいお囃子です。田んぼの水の取り入れ口(水口)のところで、春まつりの時期に、早苗が丈夫に育ちお米がたくさん獲れるようにと秋の豊作を願います。また、客席の子どもたちを早苗に見立てて、子どもたちの健やかな成長とそれぞれの願いが天に届くようにという思いも込めて囃します。太鼓のかけ合いの場面は、滋賀県の水口町に伝わる春まつりのお囃子『水口囃子』のリズムをアレンジして取り入れました。

龍舞

昔から龍は水の神様、お米をたくさん実らせてくれる田んぼの神様としても知られてきました。そんな龍が大好きなのは、たくさんの水とたくさんのお米を使って造られる「お酒」です。昔の人たちは、秋にお米が沢山獲れると、そのお米でお酒を造って、龍にお供えしました。そうすることで、山から降りてきた龍は、大好きなお酒をたっぷりと飲んで、いい気持ちになって山へ帰っていき、また来年の秋も、田んぼにお米をたくさん実らせることを人間に約束してくれるのです。

広島県北広島町の『有田神楽団』の皆さんから『八岐大蛇』の囃子や舞の手ほどきを受け、荒馬座としては子ども向けにアレンジを加えて上演している演目です。

二〇〇一水俣ハイヤ節

1997年、熊本県水俣市で荒馬座も参加して行われた『もやいと出会いのふるさと芸能大合戦』。フィナーレでは、水俣病の患者さん、水俣の子ども劇場の子どもたち、そして市民が一つの輪となって『牛深ハイヤ節』を踊りました。水俣病によって地域の絆(もやい)は引き裂かれてしまいましたが、このことをきっかけに、踊りの中には、もやいを創り直し、未来への希望を語る力があると確信した漁師・杉本栄子さんと荒馬座との共同創作で『2001水俣ハイヤ節』を生み出しました。栄子さんが水俣病にかかる前に当たり前にあったふるさとの海や漁の原風景を振り付けしました。未来に生きる子どもたちには綺麗な海を手渡したいとの思いで水俣市内の小学校の運動会でも踊り継がれています。

エイサー

旧盆の時期に踊られる沖縄の盆踊りです。沖縄は祖先崇拝が強く、旧盆の行事も盛大で、精霊送りをおこなう旧暦7月15日は『ウークイ』と呼ばれ、その夜『道じゅねー』と呼ばれる村回りが始まり、青年たちは夜通しエイサーを踊り町は熱気であふれます。ひとつになってひびく太鼓の音は、祖先への感謝と青年会の団結と誇りを感じさせます。荒馬座では、沖縄市の『園田青年会』に手ほどきを受けたものを基に舞台化しています。

シーサー

シーサーとは、沖縄でみられる伝説の獣像のことです。魔除けの意味を持ち、屋根の上に設置されるシーサーは、沖縄の方言で「獅子」を意味します。 沖縄の獅子舞は旧暦6月から8月にかけての旧盆や豊年祭で、悪霊を払い、無病息病と五穀豊穣を願って演舞されます。その姿は本州の獅子舞とはかなり異なり、毛むくじゃらの獅子が、まるで生き物のように体を激しく動かして勇猛さを表現します。荒馬座の『シーサー』では、客席から子どもの代表と大人の代表一人ずつに舞台出てきてもらい、頭を噛まれてもらいますが、代表の人がシーサーに『噛まれる』というより『飲み込まれてしまう』様子は圧巻です。

沖縄の豊年踊り

鎌、鍬、ヘラを手に持ち、軽快に農作業の様子を表現する八重山の舞踊『まみどーま』。『まみどーま』とは働き者の女性のことですが、それよりももっと働き者のオジイとオバアがユーモラスに鍬を振り、種を蒔きます。

国頭サバクイ

沖縄を代表する木遣り歌。昔、首里城を建築、修理するのに使われた材木はヤンバルと呼ばれる国頭地方の山から切り出されました。その時の役人(国頭サバクイ)と島の若者たちによる材木の切り出し、運搬の様子を歌ったものです。特に珍しいのは、歌の中に『笑い声』が出てくることです。危険を伴う重労働に駆り出された人々が、力を合わせて行う作業には、笑いと歌が欠かせなかったのかもしれません。

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